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1998 おフランスでございます<その2>

試合の前日の夜の夕食後、ミーティングルームに集められた私たちは沈痛な面持ちで旅行会社の人の発表を待っていた。チケットが入手できたのかできなかったのかの最後通告を受けることになっていたからだ。またその席にはナントのフットサルの大会に行っていたULTRA' のU
さんに代わってULTRA'KING SHOUTのOさんが臨席していた。
旅行会社の人から出た言葉は「全員分のチケットは確保しました」。自然とみんなの顔がほころんでくるのが分かる。「これで日本戦が生でみれる」という思いがじわじわと込み上げてくる。旅行会社の話では残念ながら席はバラバラでクロアチアサイドもあるということ。しかし日本で聞かされていたチケット問題を考えれば、会場に入れるだけでも幸せである。

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そのあとOさんよりアルゼンチン戦の時の話が聞かされた。試合前日までほとんどチケットがない状況で、辛い思いの中、トゥールーズでなんとか試合開始直前までチケットを旅行会社の人と走り回って最後の最後に全員分のチケットを確保した話。もし全員分のチケットが確保されなければUさんが特設スクリーンの前でチケット問題に対する抗議のサポートを行なう予定だった話。某旅行会社の人やチケットを持っていたサポーターの人が「ウルトラスがいないサポートなんて考えられない」と言って、チケットをそっと差し出してくれた話、電撃ネットワークの2人もチケットがあったのにウルトラスに寄付しようとした話なども聞かされました。そしてそんな中、既にチケットが入手できている状態でナントに行くクロアチア1試合観戦組へテンションを高めて欲しい等々の話がなされました。
そして「席が離れていても心は一つ」ということで一つになるためにある試みをすることも発表されました。他の国のサポーターもフェイスペイントをしていますが、国旗とかで恰好が悪い、ということと、日本代表といっしょに戦うということで「インディアンの人が戦いの時にするペイントをしよう」ということになりました。ブルーで目の下に線を描くというもので、宿舎を出る前にペイントしようということになりました。これはナントまでの道のりでサービスエリアなどに止まるのですが、そこで話題もちょっと振りまいちゃおうというものでした。
仮眠を取って夜中の1時、ナントへ向けてバスは出発しました。時間が時間で時差ぼけなんだかよく分からない状態で眠気があったせいでトイレ休憩以外はぐっすりと寝ることができました。やはり作戦がうまく行ったのか、ドライブインでトイレなどに行くたんびにお店の人や他のお客に好奇の目で見られていました。向こうのドライブインはオートガススタンドがベースにあって、その側にカーグッズショップと日本のコンビニみたいのとトイレが併設しているという感じのものでした。どこを走っているのか分からず、徐々に外が明るくなると周りの景色は北海道のような見渡す限りの畑という風景が広がります。
チケットが最終的に入手できるのがナント空港ということなのでPick upをしにナントの空港まで向かいます。そこでフットサルをしていたUさんやWさんなどと合流しました。またこの空港では意外かつ感激の対面がありました。世界の知将といわれる元名古屋グランパス監督のベンゲル氏です。たまたまトイレ休憩という事でトイレに行ったのですが戻る途中で人垣ができているので(もちろん日本人の)、のぞいて見るとまさにあのベンゲル氏だったのです。もちろんトイレですのでカメラを持っておらずなくなく撮影を断念せざるをえなかったのですが、なんでも日本の試合を観に来たそうです。2002年には日本代表監督になって欲しい一人です。

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会場に着くとチケットが渡されました。もちろん席がバラバラなのでUさんはじめコア中のコアな人がホーム側で他はバラバラに散ってその場所を盛り上げよう!と言うことになりました。クロアチア1戦コースは私的には残念だったのですが、いわゆる「中立ゾーン(メイン&バックスタンド)」が割り当てられました。個人的にはDangerなクロアチア側でも良かったかな?なんて思っていたので。そのあと、チケットがないサポーターもいるのでチケットは見せびらかさない等の注意があった後、青い紙ふぶきと青いゴミ袋を持ってWさんやOさん、Yさんなどに送られてスタジアムへと向かいました。スタジアムの周りは見渡す限りの日本人。8:2くらいの割合で日本人サポーター、ホーム状態でした。
またフェイスペイントですが、けっこう女の子に人気があったみたいで「猫みたいでカワイイ」などという声がけっこう聞かれました。男性はもとより、女性がやったらけっこうカワイイかもしれません。なかなか日本人の中でも好評だったようです。
入場時のチェックですが、前の試合のアルゼンチン戦での日本サポーターの行いが良かったせいか簡略化されたもので、むしろ大ザルのシミスポの方が全然手際が悪かったように思います。その一方でペットボトルは持ち込み禁止なのですが、日本だと「コップに移し替えるように」という風になりますが、フランスでは面白いことにキャップだけ没収されるんです。その情報を事前に得ていた我々は替えのキャップを持っていたのでOKでした。
私の席はメインの最上段、とはいえカテゴリー1でした。普段はゴール裏で観ているのでちょっと違和感がありましたが、スタジアムに入りました。そのとき、セルジオ越後氏とフジテレビの青島アナに会いました。スタンドに座るとホーム側のスタンドにいつもの顔のビッグフラッグが出てきました。

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このビッグフラッグには、我々日本人は見慣れた光景ですが、フランス人も驚いてようで、周りのフランス人も驚きの表情と感嘆の声、そして慌ててカメラを取り出して撮影するなどインパクトは大きかったようです。そしていよいよ「FIFA ANTHEM」が会場を包み込み大歓声と青い紙ふぶきがスタジアムいっぱいに舞います。

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以前、「アウェイで歌う君が代は独特の雰囲気がある」という話を聞いたことがありました。今回、初めて「君が代」を海外で歌った感想は周りが日本人だらけだったせいか、思ったほどジワッっと来るものはありませんでした。しかし曲のあとの「ニッポン」コールはまわりを盛り上げるために大きな声でコールしました。

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いよいよ試合開始。クロアチアは前回のキリンカップでは飛車角落ちのメンバーとはいえ勝利をおさめている国。しかも前回のアルゼンチン戦でディフェンス面に関してはある程度目処が立ったこともあり、いやがうえにも勝利への期待が高まります。
サポートも「VAMOS NIPPON」や「Aller Aller a Nippon」などは、フランス人にも馴染みがあるのか手拍子してくれています。「シェリーにくちづけ」はメインでは何を歌っているか分かりにくかったせいか、あんまり手拍子等はなかったです。メインで声を出してサポートしていたのですが、フランス人など他の国の人は別として、日本人がただ手も叩かず見ていて完全に浮いてしまいました。スタジアムに来るときOさんなどに「メイン盛り上げてよ!」という激を受けて来たのですが、あまりに白けているのには愕然としました。確かに静かに観たい人もいるし、という意見が日本ではけっこう主流だし、ましてメインで静かにサポートというのが暗黙の了解なところがあります。でもいいプレーには拍手し、日本がチャンスのときにはコールなどで盛り上げて行くべきだと思うし、メインでもサポートしていくべきだと思うのです。だからすごくそんな空気が嫌だったし、本当にサポートをしたいのにチケットが手に入らず涙を飲んだ人に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。(それはこのあとのイングランド戦でその想いをより一層強くしました)完全に浮いている状態でサポートをしていました。
内容はというと暑いせいかクロアチアも動きがそんなによくなく、むしろ日本の方がいい動きをしていました。一進一退の攻防の末、前半が終了しました。

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ハーフタイムのときには顔のビッグフラッグに代わって日の丸が出てきました。これにも周りのフランス人はビックリしていました。
そして後半、日本の新聞の後日談では城のニヤニヤ&クチャクチャが批判されていたようですが、スタンドレベルでみた限りでは意味のない単にウザイだけのヒールパス(しかも相手にパスする)や暑さでバテバテの名波の動きの悪さに憤慨していました。「早く代えろ!」なんど叫んだことか。それほど動きが悪かった。もともと彼に対する評価は私的には低かったのですが、この日の名波はそれを実証するかのような動きの悪さでした。しかも相変わらずの決定力不足に、暑さで利かないプレスが徐々にクロアチアのペースになります。一方で中田の動きの良さが目を引きました。中山はあいかわらずボールにからんでいていい動きをしていたのですが、それ以外の選手があまりにボールへの執着心、勝利への執念を感じるプレーを見られず歯がゆさばかりが募ります。
そしてついにクロアチアのスーケルに得点を許します。これも前回のアルゼンチン戦の時と同じく一瞬の隙を衝かれての得点でした。

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クロアチアサポーターの重低音の「AIDA!」とともにスタンドからは発煙筒が焚かれます。人数的には全然クロアチアサポーターの方が少ないのに声は全然通っている、ただでさえ負けているのに歯がゆい気持ちで一杯でした。けっこうかっこいいものでした。それに輪を掛けるような日本の決定力不足。岡野を投入するも単に前線でウロウロするだけで全く機能していない、攻撃の糸口が見つからない、イライラが募ります。そうこうしているうちにホイッスル。

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試合後、何人かのフランス人に「残念だったね」と声を掛けられました。確かに最低でも引き分けにできた試合だっただけに、彼等の言葉がまさに的を得ているものでした。フランスのマスコミ等で評価されているように試合後は簡単にゴミを片づけてスタジアムの外に出ました。
私の友人はクロアチアのサポーターとユニフォーム交換をしたそうです。私はその時、たまたま知人に会って話し込んでしまってその機会を逸してしまいました。スタジアムの外でWさんとUさんなど記念撮影などをして、バスに戻ります。
試合後は一部の心無い(もしかしたらそれが普通なのかもしれませんが)クロアチアサポーターが「You're Loser!!」などとケチつけてきましたが、悔しさとドッと来る疲れで言い返すこともできずバスへと乗り込みました。勝ちとはいかないまでも引き分けにできただけに悔しい気持ちでルルドへと戻りました。

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翌日の「L'EQUIPE」というフランスのスポーツ専門紙は私が感じていたのを代弁するようなものでした。各試合の各選手の評価というのが出ていて中田が他の3試合を含めてトップの7.5点(ちなみにスーケルが7点)、一方、私が動きが最悪と感じていた名波は日本代表では最低の4.5点でした。
はじめてのW杯はほろ苦くて悔しいものでした。

by y_flugels | 2005-11-02 23:50 | ++FIFA World Cup